過去「過去」家の両親は僕の物心つくころには、母の実家の二階で個人塾を開いていました。 なので僕と弟はそれが終わるまでは1階の祖父母が営む酒屋兼住宅でテレビなど見ながら過ごしていました。 なのでいろいろな人を知らず知らずのうちに見ていたのだと思います。 そして僕は両親が塾をひらいていることもあり、学校では「勉強のできる子」といわれてきました。 まあそれなりの成績を収めてはいたと思いますが。 ただ両親が勉強を教えていることで周りからいろいろ教えてもらえていいなとかいわれましたが僕には苦痛でした。 また弟が未熟児で多少脳に障害があり、からかわないように見張る役にもなってました。 そして中学へ進学。 確か中2のころぐらいまで個人塾は続いていました。 中学にはいってから、両親の特に父親の成績に関する話は厳しくなってきました。 毎回通知表をみせ、さがってるとなぜさがったのか問い詰めら、答えにつまるとたたかれる。 これは小学校の高学年から続いていたような気がします。 挙句のはてには反省文や夏休みの一日の計画などを立てさせられました。 もう勉強は父に怒られたくなくてやっていたようなものです。 この計画表には家の手伝いも必ず入れさせられ、庭の草むしりなどをやらされていました。 たしか小学校の中学年ごろから、母がパートに出るようになり、洗濯物の取り込みや米をといで炊飯器をセットするようにもなっていました。 とにかく、親に弟にいい子でいようと必死だったと思います。 ただ中学は部活がとっても楽しく、唯一楽しんで打ち込めたものでした。 そして親にいわれるがまま生徒会の会長もやりました。 内申点をあげるために。 でもこのころは充実していたため、自然と勉強の成績もいい方向へいっていました。 しかし中3となり、部活を引退したとたん、熱中していたものがなくなり、勉強も手につかない状態となりました。 燃え尽きてしまったんです。 でも受験はせまってきているので名古屋の塾へ行ったり、通信講座などで勉強まがいなことはしてました。 ただ受験高を決めるとき、僕は当時高専や工業高校に行きたかったのですが、つぶしが利かないといわれ、親に言われるがままに名古屋の高校へいけといわれ、名古屋の高校への進学しかできない状況へ追い込まれたのです。 自宅圏内にも僕の成績にふさわしいところはあったのに・・・。 そして受験では公立では第一志望として電車で二駅ほどの近くの名の通った高校(一応名古屋市内)と第二志望として名古屋と小牧の狭間の高校を受験。 結果は第二志望の方へ。 ここから僕の暗い3年間の始まりでした。 ここは僕の家から1時間半かかり、乗り継ぎも多いところでした。 また僕の中学校から進学したのは僕一人だったので人付き合いの苦手な僕はとても苦戦しました。 そして一番の問題点は成績のいい子と悪い子の差が激しかったことです。 言い方は悪いかもしれませんが、地元の悪い子も多かったのです。 ただ1年のときはまだましでした。 しかし運命の分かれ道となった2年。 ここに僕を苦しめた人物達があらわれることになったのです。 このクラスではまた友達が減り、新たな友達づくりに必死でした。 それも最初の席がこれまた僕の嫌いな分野の人ばかりで。 結局その人たちからいじめまがいなことを受けることになるのですが。 ほったんは僕の友達とそのいじめてきたやつらの部活でのやり取りが発端でした。 僕の友人がそのいじめグループが部室で喫煙してたのを先生に言ったことからはじまったのです。 その友人が突然休み時間に殴られ、僕らがその場面を生徒指導室に報告。 そこから僕にも矛先が向けられることになったのです。 僕は目があっただけでにらんだといわれて、トイレに呼ばれて首を持ち上げられたり、トイレで個室に入ったところをドアをけられ、悪口を言われ・・・。 そしてちょうど今頃の寒い時期、もう夜に寝れなくて、無性に死にたくなって、夜道をさまよいました。 これが僕の鬱の始まりだったんだと思います。 親は一応心配はしてくれましたが、あと1年半だからといわれ、苦しさをばねに耐え抜いたのです。 結局はいじめをしたグループは謹慎処分をくらましたが、クラスが変わった3年になってもグループの一部が同じクラスでまた新たな人も加わり、陰口など陰湿なものは続きました。 なので僕は大学進学はただ今の状況を抜けれればいい、親のためにいけばいいという感じでなんとなく成績から入れそうな大学を選択したのだと思います。 そして現役で地元の私立大学へ合格。 もう高校卒業のときのうれしさは今までで一番だったと思います。 なので大学ではとにかく暗い自分を変えようと無理して明るくしてた気がします。 しかし自分の生活が充実してきた大学1年のまた冬に近い時期、母の浮気が発覚。 もうなにを信じていいのかわからなくなった時期でした。 結局父があやまり倒して、治まったのですが。 今回の波は父の身勝手さがこれらを思い出させる引き金となり、かなり不安定な状態に陥ったのです。 僕は今まで家族のためという理由でやってきたので、自分のためというのが見つけにくくなってるのです。 また怒りを原動力としてきたので、怒りに過剰に反応してしまうのです。 たとえ他人に怒鳴ってる声であっても。 まだまだ克服する壁は多いようです。 |